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2009年1月30日金曜日

とことんまでつきつめた人 道元

道元は

仏法をとことんまで突き詰めた人といえると思いました。


この人によると、禅宗なんていうものはなく、

ましてや曹洞宗などというものもあるはずもなく、

ただ、「正統の仏法」があるだけ、となります。


正統とは何か、と問われれば

「この人こそ」と思える師から、受け継いだ仏法となります。


当然、その師を代々さかのぼると

ブッダにたどり着くのです。


これだけつきつめると、

他の宗派は正統でない、となるわけですから

あちこちに敵ができて大変です。


そこで、越後の山奥で、孤高の姿勢を貫くことになったのですね。



さて、とことんまで突き詰めると、

後の世にまで、熱烈なファンを生むようです。


千利休がそうであり、

良寛和尚がそうでありました。


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2009年1月22日木曜日

MAYA MAXX版 『十牛図』



生きることの真理を示すルートマップ 『十牛図』

尋牛 Seeking the ox
   このままで/いいはずない/このままで/いいはずがない


見跡 Finding the track
   求め/求め/どこまでも/どこまでも/求め/求め続ける

見牛 First glimpse of the ox
   見つけた?/まだまだ/気のせい/気のせい

得牛 Catching the ox
   よし/よーし来た/逃がすものか/逃がすものか

牧牛 Taming the ox
   本当に/本当だ/ここにいる/ここにいた

騎牛帰家 Riding the ox home
     うれしい/うれしい/家に帰ろう/家に帰れる

忘牛在人 Ox forgotten, person remaining
     落ち着いて/落ち着いたら/世界はなんて/美しいのだろう

人牛倶忘 Person and ox both forgotten
     とけていく/とけていく/わたしはなくなり/わたしはすべて/になっていく

返本還源 Returning to the source
     これでいい/何もかもあって/何もない/生まれて消え/消えて生まれる

入てん垂手 Returning to help sentient beings
      つながり/伝わり/すべては/ぐるぐる/繰り返す/だから大丈夫



MAYA MAXX展は、京都市 何必館(かひつかん)で3月22日までです。

ここにあるのは 自己発見ー>ONENESS->つながること、かな。
 








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2009年1月9日金曜日

ONENESS考2 不二

私達はみな平等です。そして宇宙とは、私達のお互い同士の関係です。
宇宙はただ一種類の実体からできていて、その一つひとつが生命を持ち、
一つひとつが自分の存在の仕方を自分で決めています」タデウス・ゴラス


「宇宙がだた一種類の実体からできている」ことを英語でONENESSと言います。

そして仏教用語や禅語の中には、そのことを表現しているらしい言葉・フレーズがあります。


昨日の法話の続きに

「そんなバカな、この自分の体は自分のものだ」と主張する方があるかと思いますが、よく考えて下さい。
本当に自分のものだと信じているこの肉体も、自分の意に反して、年齢を重ねると白髪や抜け毛、
シワが増え、腰がまがり、病にかかってやがて死ぬ運命ではありませんか。
自分の財産もあの世には一銭も持って行くことは出来ません。
自分のものなど、何一つこの世には存在しないのです。ただ、仮に所有しているに過ぎません。

もっと言えば、元は皆な同じなのです。天地と我と一体、万物と我と同根なのです。
それを我々は、勝手に分別しているだけなのです。自己と他を区別し、
自分と他人の間に壁を作っているのです。

『不二』とは、対立を超えた、絶対的平等の無分別の境地をいいます。



私とあなたは、本当は同種の実体でできているのだけれど

それぞれが、自他の間に壁を作る!という存在の仕方を自分で決めている、というのですね。


でも本当は 「無我」=「不二」 だ、というのかも?


「私とあなたは違う」・・・見た目も違うし、思考・行動・感情のパターンも違うし、思い込みの種類も違う。

「私とあなたは同じ」・・・でも同種・同根だから、私はあなたのあり方に心を動かされる。


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2009年1月8日木曜日

ONENESS考1 無我

私達はみな平等です。そして宇宙とは、私達のお互い同士の関係です。
宇宙はただ一種類の実体からできていて、その一つひとつが生命を持ち、
一つひとつが自分の存在の仕方を自分で決めています」タデウス・ゴラス


「宇宙がだた一種類の実体からできている」ことを英語でONENESSと言います。

そして仏教用語や禅語の中には、そのことを表現しているらしい言葉・フレーズがあります。


ある禅宗の法話に

私たちは、普段“自分”と言う殻(から)にとらわれて生きています。
つまり、自分自身に執着して毎日を過ごしているのです。

程度はどうあれ、人間は多かれ少なかれ自分自身に執着して生きているのは間違いありません。
お釈迦様は、そんな私たちの眼をさまさせようと、“諸法(しょほう)無我(むが)”の法を説かれました。
すなわち、大宇宙の森羅万象はことごとく因と縁によって成り立っていて、
どんなものにも固定的な実体というものはないと説く真理です。


これは、ゴラスの言うことと同じでないでしょうか?

「無我」とはONENESSを体感している状態だと思います。


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2008年11月19日水曜日

予習 サルタヒコ

伊勢の猿田彦神社にお参りにいくことになったので、

サルタヒコとはどういう神様なのか調べてみました。


そして、その神様の「顔の多さ」にびっくりです。

諸説が飛び交っています。


でも、おそらく、天照大神の一族が勢力範囲を広げたときに、

その配下にくだった、伊勢地方の土地の神様であったのでは・・・

というのが私の勝手な想像です。


天照大神の配下にくだった神様の中の大物は

出雲系の神様だと言われていますね。


サルタヒコは天狗の源流だといわれています。

天照大神に土地を譲ったあと、伊勢を出たので

旅をする神様として道祖神とも関係あるし、

「さる」という名前からか庚申信仰とも関係あるし、

月並みな言い方ですが、「おもしろすぎ!」です。






猿田彦大神フォーラム








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2008年5月13日火曜日

5月の神事 と 東游(あずまあそび)

東游(あずまあそび)②

5月はあちこちでお祭りがあります。

先日も御茶ノ水駅付近で御神輿をみかけました。


御蔭(みかげ)祭りは

下鴨・上賀茂神社の5月のお祭りである

葵祭にさきがけて行われるお祭りで、

明治までは御生(みあれ)神事と呼ばれていました。


下鴨神社の神様が

あたかも「生まれ直す」かのような

意味を持つ神事です。


「(八瀬の御蔭神社で)神霊の現われを感得し、
 祭祀(さいし)によって現われた力強く活動的な、
 偉大なお力のある神霊『荒魂(あらみたま)』をいただき(略)
 本宮(下鴨神社)の神霊『和魂(にぎみたま)』と合わされたてまつり、
 よりすばらしいおはたらきの鴨の神様となられる古代からの祭祀です」
                    (下鴨神社のパンフより)


糺(ただす)の森の勢いのある新緑が

荒魂の出現を感じさせます。

この時期は、田植えの時期なので、

一年の豊穣を願う神事でもあるのでしょう。


日本古来の農耕文化を象徴しているようですが、

よくよく考えれば、

「時期によって状態が変わる神様」

「定期的にエネルギーチャージをするらしき神様」

というのはユニークです。


ディズニーランドやUSJ以外にも

ワンダーランドはたくさんあるとつくづく思います。



冒頭の写真は

神馬の背に乗った「荒魂」の神霊に向かって

東游(あずまあそび)という歌舞が奉納されているところです。



東あそび①
私はこの東游(あずまあそび)の装束のファンなので、

しつこく写真を撮ってしまいました。

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2008年1月25日金曜日

「私は無宗教です」という日本人が多いのはなぜか?

昔から私は宗教学ファンで、

アメリカに2年住むことになったとき、何が楽しみだったかというと

「(商業主義だけでない)本場のキリスト教に触れられる!」

ということでした。



実際アメリカに行けば、収穫はもっと多くて、

イスラム教徒やら、ユダヤ教徒の人たちとも

交流することができました。



それはそうと、海外で宗旨をたずねられれば、間髪いれず

「仏教徒です」

と、答えることにしています。


理由は2つ

1 年2回、お寺にお墓参りに行っているから。

  (今年は、風邪で行っていないが・・・)

2 海外では、宗旨が異なるのはOKだが、

  「無宗教」=「まっとうな人間ではない」

  と解釈され、人として、相手にされないことがあるときいているから。


ところで、島田裕己の「日本人の10大新宗教」という本の中の

「無宗教」に関する記述が面白かったです。

以下、引用します。

  日本人が自分たちのことを「無宗教」と考えるのも、イスラム教徒と同様に、生まれたときから日本の既成宗教の信者になってしまうからである。日本の場合には、既成宗教が、神道と仏教という二つの宗教が組み合わさった特殊な形態をとっているために(ほら、「神宮寺」なんてのがあるでしょ?)自分たちを神道の信者と決めることもできないし、仏教の信者と決めることもできない。そこから、特定の宗教に属していないという意識が生み出される。


日本的宗教風土の中にどっぷり浸かっていて、

でも、ぜんぜん、そのことを意識していない、という状態なんでしょうね。


ちなみに、私の父方は、もともと神道オンリーだったのだけど、

明治生まれのひいじいさんが、

「葬式は、仏教の方が派手で、エエ」

といって、お寺の檀家になることにしたらしい。


結婚式は「キリスト教式のほうがステキ!」というのと

同じような感覚だったんでしょうね、きっと。



なんてったって、ここは基本、「八百万の神々の国」だかんね。


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