「一隅(いちぐう)を照らす」とは、比叡山延暦寺を開いた最澄(伝教大師)の言葉です。
これについて、安岡正篤が『青年の大成』という本のなかで書いていることを抜粋します
おのおのがそれぞれ一燈となって、一隅を照らすこと。この「一隅を照らす」は、伝教大師がその著『山家学生式(さんげがくしょうしき)』のなかに、提唱しておることです。
なんで片隅を照らすなどと、心細いことを言われたのかーーとよく考える人がある。大光明を放つとでも言ってもらいたいところです。しかし聞くだけなら愉快だが、人間みずから大光明を放つことなど、どうしてなかなか出来るものではない。
つまらない人間も「世界のため、人類のため」などと言います。あれは寝言と変わらない。寝言よりももっと悪い。なにも内容がない。自分自身のためにも、親兄弟のためにも、ろくなことができない人間が、どうして世界のために、人類のために、なんて大口きけるか。
それよりも、自分か居るその場を照らす。これは絶対に必要なことで、また出来ることだ。真実なことだ。片隅を照らす! この一燈が萬燈になると「萬燈遍照」になる。こういう同志が十万、百万となれば、優に日本の環境も変わりましょう。
*****ここからは 余談ですが******
安岡正篤先生は、
「豚カツとビールばかり食べていると頭が鈍る」
何度も話されたようです。
安岡先生ご自身は、
「豚カツとビール」
の組み合わせを、本当はこよなく愛したのでは?
と思うのは私だけかしら。
コーチングで一隅を照らす
2007年11月16日金曜日
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