2008年7月31日木曜日

町田康 『破滅の石だたみ』

これはエッセイ集です。

著者はパンク歌手らしいです。

なのに、芥川賞や谷崎潤一郎章を受賞したりしています。


私が彼の文章をちゃんと読むのは今回が初めてです。


古風な文章、落語のような文章、そして筒井康隆のような文章を書く人だと思いました。

内田百閒のようにハチャメチャなのに真面目で。

それとも真面目が高じてハチャメチャになったのでしょうか?


恐れ入ったのは

小学校5年のときに三島由紀夫の主要な作品をほぼ読破。

そして、気に入った本は10回以上繰り返し読む、というところ。


特に気に入ったフレーズは

 人間の根底がパンクである私は、(後略)
 
 最初の一行を書くとき、自分はものの分かった人ならけっして
 手を出さないような馬鹿なことを始めようとしているのではないか、
 と躊躇してしつつ、しかし、「やかましい。俺はこれを書くのだ」と
 半ばヤケクソで書き始めるのは、(後略)

 
 なぜなら、そうしないと新しいものを齎(もたら)すことはできないし、
 それよりなにより自分自身がおもしろくないからである。

 
 
 
自分自身がおもしろいか、どうか。

つまるところはそこか?と思います。


自分さえよければ、という低次元の話ではなく、

これはいわゆる「ライブ感」に関係することで、

最低でも自分がおもしろいと感じていなければ、

そのおもしろさは人様には伝わらないであろう、というようなことだと思います。



ところでこの「破滅の石だたみ」という石だたみ、

京都の北白川にあるそうですぞ。



 


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2008年7月29日火曜日

『こきりこ節』

ひょんなきっかけで、

それまで、まったく興味がなかったものに

いきなり感動することがあります。



それは、つけっぱなしのラジオから流れてきた、

富山県の民謡で、

日本の民謡なのに、「大陸の響き」があったので、

思わず聞き入ってしまいました。


「大陸の響き」を思わせたのは

ゆったりした太鼓のたたき方と

胡弓の伴奏。


太鼓のたたき方に、何故か朝鮮半島を思い出し、

胡弓の音色にモンゴルの馬頭琴を思い出したせいかもしれません。


調べてみて驚いたことが2つあります。


まずこの『こきりこ節』は一説によると

大化の改新(645年)の頃から存在する田楽歌である、といわれるほど

大変に古いものである、ということ。



2つめには、「胡弓小事典・歴史」というサイト(http://www.co-q.com/jiten_rekishi_frame.htm)に

 胡弓はアジア大陸内陸部で発生した楽器が、いったん西域へ渡り、
 南下しつつ東進して東南アジアを経て日本に来たのでは?
 
という説が書かれていること。


私が聴いたのは、古代の音、大陸の音だったのかもしれません。


私が聴いた「こきりこ節」は

寺崎美幸という民謡歌手が歌っているもので

こちらで試聴できます。


このバージョンでは胡弓は聞こえません。

胡弓の音は、こちらの「越中おわら節」で聴くことができます。



けれども、私はラジオから流れてきた胡弓バージョンの「こきりこ節」が好きだったなあ。

 
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2008年7月28日月曜日

ストーリー・ボールとクリスタル・ボール

22日のハーレーンの研修(まだ続く!)の

コーチングデモの前半では

クライアントが見せてくれるストーリーをボールにたとえ、

コーチは会話を通じてクライアントと共に、そのボールを丁寧に大切に調べていました。

この共同作業を通じて、クライアントとの信頼関係を作るのです。



ストーリー・ボールとはどんなボールか?という参加者の質問に対し、ハーレーンは

「クラインアトが私に見せてくれている物語のことです。
 占い師が使うような、そして占い師だけに、何かの映像が見えるような
 あの、固いクリスタル・ボールではありません。」
 

と答えていました。


占いでは、占い師が率先してクラインアトの物語を作って見せます。

そのつぎに、クライアントがその物語に何らかの反応をするのだと私は考えています。


コーチングでは、クライアントが率先してクライアント自身の物語を語ってみせるわけですね。

そして、コーチがそのクライアントの物語に反応する。


「逆」ってことになりますね。


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2008年7月27日日曜日

専門性か独自性か

またまた、ハーレーンの研修でのことです。

キーワードの一つに

【エクスパティーズ expertise】という言葉がありました。


リーダーズによると、

【エクスパティーズ expertise】 専門技術、専門知識、専門家の意見

とあります。


研修では、

 「コラボラティブ・コーチングは コーチ・クライアント双方の専門性・想像力を尊重する」というように

【エクスパティーズ expertise】を「専門性」と訳していました。


ここで、参加者から、質問が多発。

「コーチの専門性って何?」「クライアントの専門性って何?」
「クライアントは何かの専門家であるとは限らないが、その時はどうするの?」



休憩を挟み、訳語が修正されました。

ここでの【エクスパティーズ expertise】 は「独自性」である

ということになりました。


クライアントのことを最もよく知っているのはクライアント自身。

だから、コーチはクライアントの持つ世界について、

クライアント自身が語るストーリーを

(ハーレーンはこれを「ストーリー・ボール」と言ってました)

先入観を持たずに、学ぶところから始める。


クライアントの持つ世界・クライアントのストーリー・ボール、

これらを尊重するという姿勢が

「クライアントの【エクスパティーズ】」という表現のココロか?

と思いました。




ポストモダン主義の考え方によると

ある言葉の持つ意味は、固定されたものではなく、

時代、状況、それを使う集団や、人によって変化するものだそうです。



たとえば、身近な例では「ヤバイ」という言葉の意味など、そうですよね。


 ・私に馴染みがある【やばい】の意味⇒ 不都合である。危険である。
                   用例「やばい、時間に遅れる!」
                   
 ・十代の息子が使う【やばい】の意味⇒ 大変すばらしい。
                   用例「○○の今度の新曲、マジでヤバイし。」




今回の訳語訂正、

【エクスパティーズ expertise】「専門性」⇒「独自性」は、

ハーレーンの仕事によって、言葉の意味が変わった瞬間を

目撃したような気分でした。



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2008年7月26日土曜日

「コ」 から始まる外来語 あれこれ

22日のハーレーンの研修で扱った言葉シリーズ、その②です。

長めの英単語ですが、外来語として日本にも浸透しているし、

コーチだったら、確認しても損のない言葉だと思ったので

比較検討してみます。



ハーレーンは自分のコーチングを

「協力的な人間関係と対話を軸として機能する」コーチングであるとし、

コラボラティブ・コーチングという名前をつけています。



参加者から、「なぜコーポラティブではないのですか?」

と質問が出ました。


【コラボラティブ collaborative 】

動詞 collaborate (いわゆる「コラボ」ですね)には
共同して働く、合作する、という意味があります。(リーダーズ)


【コーポラティブ cooperative】

動詞 cooperative には
協力する、協同する、という意味があります。(リーダーズ)
○○大学生協や、京都生協などのいわゆる 生活協同組合のレジ袋などに
「COOP」と書いてありますよね。そのCOOPの元の言葉です。


この説明だけだと、【cooperative】でも構わないように思えますよね?


ところが!


この【cooperative】の中身には、ハーレーンによると、こんなものが含まれるそうな。

  医者が、患者に「このようにしなさい」という指示を出す
  患者は、医者の指示に従順に従う。
  
  こういう関係も【cooperative】な関係なのだそうです。
  
  両者は「対等」な関係ではないのですね。


それに対し【collaborative】な関係では、両者は全く「対等」です。



ところで、この話を聴いていて思い出したのが

CTIジャパンが翻訳した本『コーチング・バイブル』の原題にある

【co-active】という言葉。

もともと【co-】という接頭語は「共同」「共通」「相互」「同等」の意味を持ち、

これに【active】「活動的」「積極的」「能動的」「自ら動く」の意味が加わるのだから

【co-active】は「双方が積極的に関わる」という意味になります。




ハイ。

話が細かくなりました。

エンジニア時代、言語学とコンピューターサイエンスを合体させた

機械翻訳ソフトの開発に従事していたので、

この手の話を始めると、止まらなくなります。

私の自己満足だけでなく、

読んでくださる方に、お役に立つ箇所があれば、嬉しいです。


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2008年7月25日金曜日

コミュニケーションに関連する語彙

22日のハーレーンの研修では、

言葉の意味を確認する場面がいくつかありました。


【コミュニケーション communication】

これは、「表現する」とか「伝達する」ことに重点が置かれている言葉で
どちらかというと一方通行な感じがする言葉だそうです。

英和辞書のリーダーズにも、伝達、報道、連絡、通信などと書いてあります。


ですから、「双方向性」を表現したいときは

【カンバセーション conversation 会話】

【ダイアローグ dialog 対話】

などの言葉を使う、とハーレーンは言っていました。



驚きました。そして 灯台下暗し。

コーチにとって基本的な言葉の意味が押さえられていなかったなんて!



そういえば。

ヴィスコンティの映画『家族の肖像』の原題は

conversation pieces

でした。

この言葉には、18世紀イギリスで流行した、家族団欒(だんらん)の様子を描く

家族の群像画、という意味があるんだそうです。

初めてこの原題を知ったとき、あまりに意外でなかなか受け止められませんでした。

団欒しているようにはとても見えない日本の家族写真に、慣れすぎていたのですね。


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2008年7月24日木曜日

ハーレーン・アンダーソン博士の研修

ハーレーン・アンダーソン博士の研修に行ってきました。

最前列席だったので、
博士のデモがかもし出す空気感まで味わってきました。
(この空気感を、私はジェスチャーで表すことができます。
 ご希望があれば、いつかお会いしたときにお見せします)


今回の研修の鍵となる概念は

そのクライアントが持つストーリー(時間軸を含めた状況)を
      「わかっているつもりにならない」
      
そのクライアントに有効な解決策を
      「知っているつもりにならない」


実際のコーチングデモの前半では
クライアントが見せてくれるストーリーをボールにたとえ、
コーチは会話を通じてクライアントと共に、そのボールを丁寧に大切に調べる。
そして、それがどんなボールなのか、クライアントと共有する。
この共同作業を通じて、クライアントとの信頼関係が生まれる。
この信頼関係作りがなにより大切。

デモの後半では
共有したストーリー・ボールをもとに、コーチが質問や提案をし、
その過程を通じてクライアントが自分にぴったりの解決策をつかむ。


大枠は以上です。

コーチング・デモは2つありました。
実際は、クライアントに応じてハーレーンの対応が変わっていくので、
2つのデモは、特に後半が随分と異なるものでした。
理論だけでない、達人の技を感じさせられる部分でした。

そこに感銘を受けた参加者が、「それは直感ですか?」と尋ねたのに対し、彼女は
「直感ではありません。私はただ、ストーリーに入り込み、
 ストーリーに対して私が反応するのです」
「コーチングとは反応の連鎖なのです」

クライアントの独自性とコーチの独自性が反応しあう共同作業を通じて
自分にピッタリの靴のような、すぐに使える何かを、クライアントが得る―――
これがハーレーンの「コラボラティブ(共同作業)・コーチング」なのかなと
私は理解しました。


今回のコーチ21の伊藤守氏の記事
ハーレーンの研修に触発されて書いたのではないかと思っています。



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2008年7月22日火曜日

明鏡止水(めいきょうしすい)

『ハチワンダイバー』という将棋ドラマの最終回にでてきた四字熟語です。

【明鏡止水】(くもりのない鏡と静かな水との意から)
      邪念がなく、静かに澄んだ心境。(広辞苑)

      出典は荘子の徳充符編(漢語林)

      とすると、邪念がない、というより、不動の、というのが適切でしょう。


ドラマでは「どう指すか?」という意図を消した境地という意味で使われていたと思います。

「明鏡止水」なコーチングがあるとすれば、

それは、コーチの意図や思い込みを消すところから始まるのだと思います。


私の聴き方は「水面のよう」、私のコーチングは「鏡のよう」という声をいただくことがあります。

「明鏡止水」の境地までいけたらいいなと思います。


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2008年7月21日月曜日

『雑用ゴジラ』

疲れがとれて、我に返ると

雑用がたまっていることに気が付いた、

なんてことはありませんか?


私は、よくあります。

今回も、雑用がたまって、気が重くなったので、

この雑用に『雑用ゴジラ』という名前を付け、

いったい、片付けるのにどのぐらいかかるのか

測定することにしました。


それも、片付けが進むにつれ、

「あと、どのぐらい時間がかかりそうか」

見通しがたてられるような方法で。

見通しが立つと、圧迫感が少なくなります。


本家の初代ゴジラは、高さ50m。

『雑用ゴジラ』を倒すための所要時間は、2時間40分。


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2008年7月19日土曜日

雑感:限界について

先週の土曜日から野球の地方大会を3戦観たら

3年分ぐらいの直射日光を一度に浴びたせいか、

(もちろん紫外線対策はしてますが)

立てないぐらいに疲れてしまいました。


いかに常日頃、日陰の生活?を送っているか、

ということをあらためて実感。


野球3戦目のあと、用事があり、京都市内を移動していたのですが、

暑さでぼーっとしていたせいか

祗園祭の山鉾巡幸の日であることをすっかり忘れており、

いろいろなところで足止めをくらい、

いろいろなところで、山車や鉾の

華麗なタペストリーを、ぼんやり眺め、

「コンチキチン」のお囃子が体内に染み入るにまかせ


やがて、鉾町の関係者が手際よく山鉾を解体しているのを見

普段お目にかからない、縄の切れ端の山、松の枝の山を見

着物やスーツを着ている裏方の女性たちも大変だろうなと想像し・・・


うだるような暑さを感じつつ、同時に

「なんかシュールな一日だなあ」と思い。



そんな中で頭のなかを去来した言葉は

「制限」とか「限界」とかの「限」の字。

毎日の中でも、いろいろなところに「限り」はあるわけですが、

それを明確に知った上で、何ができるかを考えると

選択肢は意外に以上にたくさんあるのではと

ウニ状態?の脳みそで思ったのでした。


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2008年7月15日火曜日

持ち味を十二分に生かせば

この野球チームは

 1 小柄
 2 打撃力は普通
 3 練習時間が短い
 4 突出した選手はいない
 
しかし、この野球チームは

 5 守備は固い
 6 いつも冷静
 7 バントは上手
 8 全員野球
 
 
4、5、6、7の持ち味を十二分に発揮して

高校野球の地方大会を勝ち上がっています。


私は野球部父母会の会員なので、

平日の試合で、応援の少ないときは

なるべく観に行くようにしています。


条件に恵まれなくても、

自分の持ち味を知り、それを十二分に発揮すれば

結構いける、ということを

見せてもらう日々です。


しかし、とにかく 暑い!


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2008年7月14日月曜日

優位感覚の「感覚」って何?

コーチ21が挙げる優位感覚の種類は

   視覚・聴覚・触覚・言語感覚
   
   
NLPが挙げる優位感覚の種類は

   視覚・聴覚・触覚
   
   (ただし、触覚の中に嗅覚・味覚を含む)
   
   


「優位感覚」というように

「感覚」という言葉を使うため、

いわゆる「5感=視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚」のことかと思いますが

WikipediaのNLPの項目によると

そうではないらしい


そうではなくて、

これらの感覚、特に視覚・聴覚・触覚の3つの感覚が、

人の内面的な情報処理をコントロールするということらしいです。


だからNLPでは、

「優位感覚」でなく「代表システム」という言葉を使っています。


 どの感覚を主軸において情報処理を行うか
 
ということなんですね。



感覚そのものだけでなく、情報処理にも重点を置くと


「優位感覚」=「感覚」X「情報処理」
   
   
と、こんな式が書けるのではないかと思います。



これは、NLPでのお話ですが、

コーチ21は、このあたりを少し違った枠組みで見ているのではないかと私は思います。
   

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2008年7月13日日曜日

「学習スタイル」または「優位感覚」

コーチ21のTest.jpで、自分の「学習スタイル」または「優位感覚」を診断すると

言語感覚が圧倒的に優位

とでます。


言語感覚優位の人は、時と場合によっていろいろな感覚を使いわける、ともあります。

それは、とても納得できることで、

たとえば私は

普段は「言語感覚」を使って理屈っぽく?生きておりますが

・何かを記憶するときは「視覚」を
・雑念を払ったり、集中したいときは「聴覚」を
・リラックスしたり、方向転換を図るときは「触覚」を

特に意識して使っております。


みなさんの優位感覚は何ですか?

そして、その優位感覚をどう使っていますか?

自分の優位感覚を診断してみたい人は左のリンクリストにある

「あなた自身を知るテストサイト(Test.jp)」をやってみてください。


パソコンを使えない環境にいる方で、診断してみたい方は

わたくしまでご一報を。


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2008年7月12日土曜日

根付 360度の彫刻

空観さん@清宗根付館

写真の根付はおおよそ実物大になっています。

(写真が曲がっていてすみません)


根付とは、

江戸時代に、印籠や巾着(サイフですね)などの

「提げ物(さげもの)」を携帯するときに

落としたり、盗まれるのを防ぐために使用されたものです。

提げ物をひもで帯につるし、

もう一方の先に根付をとりつけて、留め具としました。


携帯ストラップのようなものですが

ただの飾りではなく、実用的な意味があったのですね。


その根付ばかりを1500点所有する

京都清宗根付美術館に行ってきました。


友人、三田三と、

現代根付氏、空観さん(写真の根付の作者)の

清水坂での不思議な出会いから

この展示を知ることに。


今回はそのうち800点が展示されていました。


まるで、日本の詩歌の世界、

短歌、俳句、川柳、いわゆる詩、それらの様々が、

根付という形に 凝縮したようです。

それらが800点。


しかも、根付館は、見事な武家屋敷で、

それらが渾然一体となって、とても濃い空間を作っています。


現代の根付師は、彫刻家からスタートする方が多いそうです。

彫刻家が、あるとき根付に魅せられ、

名のある根付師のところに弟子入りする・・・。


「根付は360度の彫刻である」という

根付館の方のセリフが、

今も私の頭の中でエコーしています。


清宗根付館のサイトはこちら

根付師 空観さんのサイト(音が出ます♪)はこちら


根付館に行きたい方、年に4回、2週間ずつのみの開館ですので

上記のサイトでご確認くださいませ。(今回は7月14日まで!)



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2008年7月11日金曜日

高野 和明 『幽霊人命救助隊』

人命救助隊 高野和明著

3年以上前、文学評論家の北上次郎氏がラジオ番組で紹介していた本です。

北上次郎氏は目黒考二氏のペンネームの一つで、

目黒考二氏は「本の雑誌」の編集長をするぐらいの

無類の本好き、かつ、本の紹介好き。

椎名誠氏と友達で、群ようこ氏をデビューさせた人でもあります。


この人が紹介する本は、エンターテイメント性を高く保持しつつ、

それだけに終わらない魅力を持つものが多いです。


で、今日はこの本。

高野 和明著『幽霊人命救助隊』文春文庫 720円

目黒考二氏自身の紹介文がこのサイトにあります。

一部を紹介しますと・・・


★主人公は4人。大学受験に失敗した青年、30代の女性、中年の男性、そして60過ぎの暴力団組長。この4人は理由があって自殺してしまう。それぞれの事情はおいおい語られる。

★自殺した4人は、天国に行くかと思いきや、どこか野原のようなところで目が覚める。すると、上空からパラシュートで妙な白髪のじいさんが降りてくる。誰かと思えば、なんと神様。神様が言うことには、「おまえらは命を粗末にしたから、このままでは天国に行かせない。7週間あげるから、その間に自殺しようとしている100人の命を救いなさい。100人救ったらおまえら4人を天国に行かせてあげよう」と。かくして、4人は幽霊となって下界に降りて自殺志願者を救おうと奔走することになる。

★幽霊となった4人は、透明人間のように普通の人には見えない存在。ものに触れることも出来ない。では、どうやって人を救うのかというと、、、?神様から、いろいろなお助けグッズを与えられる。これがバカバカしい。例えば、耳元に声を届けるメガホン。自殺志願者を見分けるゴーグル。

★この小説が良くできているのは、自殺をしようとしている人間が抱えている苦悩や状況を根本的に取り除くのは無理だということを踏まえていること。すべて解決しようというのではなく、道筋だけをつけてあげる。例えば、会社で左遷され絶望し、自殺しようと思い詰めている男を救うには、どうしたらいいか。左遷という事実自体を変えることが出来ない以上、気持ちの持ちようを変えるしかない。そのために何が有効かと考える。設定は荒唐無稽だが、苦悩の中身と救い方の部分は実にリアル。

★しかも。全編にわたってユーモラス。自殺という深刻なテーマを真面目に扱いながら、ユーモアを忘れない。例えば、左遷された男がまさに自殺を図ろうとしている時、主人公の一人の暴力団の組長は、時間を稼ぐためにメガホンで「遺書を書け」と叫ぶ。さらに、「辞世の句を書け!」、「季語がない!」、、、、。

★自殺をしようとする人の苦悩は十人十色、100人それぞれの苦悩と主人公4人のドラマが重なっていく。この二重構造が効いている。

★金、家族、愛情、、、現世にあふれる沢山の苦悩の見本市のようだが、それがちょっとしたことで救われることが示される。奇想天外で、読めば元気が出てくる理想的な娯楽作品。


(少し、引用しすぎ?!)




私も注文しました。


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2008年7月10日木曜日

Hobby の意味

ブルーノ・ムナーリのジジ

【趣味】 空いた時間にすること。これらは
     気晴らし、リクリエイション、パスタイムであって
     「ホビー」ではない。
     What do you do when you have free time?
   
     例えば、「フィルモグラフィーを調べ、同じ監督の作品をずっと観る」
     これは「ホビー」。
     What is your hobby?
   
【道楽】 余技 十八番 長い間打ち込んでいること。
     これは「ホビー」といえると思います。


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2008年7月9日水曜日

「共にいる」ということ

ずっと以前の、あるコーチによる講演会でのこと。

最後の方で、参加者からこんな質問がありました。


「いまだに後悔しているコーチングセッションはありますか?」


その答えは大筋でこんな内容だったと記憶しています。




  約束の時間にクライアントが電話をしてきました。
  「実は夕べ、父が亡くなりまして」
  というのが、クライアントの第一声でした。
  私は大きなショックを感じながら、言いました。
  「それは大変だ、今日のセッションは中止にしましょう」

  そのあと、私は後悔しました。
  クライアントは、大変なときだからこそ
  コーチングセッションをしたかったのではないか?
  だから電話してきたのではないか?

  あのときの私はクライアントと「共にいられなかった」のですね



この話を思い出しながら

もし、よく似た状況が今の私に起こったらどうするか考えてみました。

「それは大変だ、今日のセッションは中止にしましょう」

ではなく、

「それは大変だ、では、今日のセッションはどのようにしましょうか?」

と、クライアントの意志をたずねるかな、というのが今の私の答えです。


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「価値」と「価値観」と「ニーズ」に関する覚書

りらっくま・マグカップ

「価値」と「価値観」と「ニーズ」について
自分なりに定義してみました。

【価 値】実は、いつもやっていることの周辺にあるもの。
自分では「やっている」と意識してないこともある。
     価値は強みであるとは限らない。
     例えば、テニスの才能があっても、テニスが好きとは限らない。
   
【価値観】良し悪しや、善悪などの判断の基準になるもの。
     価値とは異なる。スタンダード。

【ニーズ】満たされいないとイライラしたり、不安になったり、
     または、思わぬところで感情的に反応したりするもとになるもの。
     満たされると、自分らしさを十分に生かした最高のパフォーマンスをする。

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2008年7月8日火曜日

今、『蟹工船』が本屋で平積みに

学生時代の教科書、『国語便覧』の「プロレタリア文学」の項目に

小林多喜二 『蟹工船』 

と書かれているのを目にしたことがあります。



その『蟹工船』が今、本屋で平積みだそうです。

例年は年間5000部ほどなのに、今年はすでに30万部売れているとか。


2008年1月9日の毎日新聞の

高橋源一郎、雨宮処凛両氏の対談で

「今の大学生が共感している」「フリーターの状況に似ている」

という意見が出されたのがきっかけだといわれています。

(対談の内容はこちら


面白かったフレーズは

 蟹工船は今でいう「偽装請負」の話/リアル(現実)が面白い
 


志賀直哉の小説で文章修行をしたといわれる

小林多喜二の『蟹工船』の冒頭は、こんなです。

「おい地獄さ行(え)ぐんだで!」
 二人はデッキの手すりに寄りかかって、
 蝸牛(かたつむり)が背のびをしたように延びて、
 海を抱(かか)え込んでいる函館(はこだて)の街を見ていた。
 ――漁夫は指元まで吸いつくした煙草(たばこ)を唾(つば)と一緒に捨てた。
 巻煙草はおどけたように、色々にひっくりかえって、
 高い船腹(サイド)をすれずれに落ちて行った。
 彼は身体(からだ)一杯酒臭かった。

 
 
ラジオで冒頭部の音読を聞き、思わず仰天。

昭和初期のモノクロの映画の様なシーンが次々と

脳裏に浮かんできたものだから。

主演は何故か若いときの石原裕次郎。

でも、それだとストーリーが変わってしまいそう・・・。







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2008年7月6日日曜日

触覚系な一日

蓮の花

しばらくブログの更新がスローペースでした。


ぼーっとしていたからです。


ぼーっとするのは、「なまける」ことだと思っていましたが、

この一文を読んでからは、そうでもないか、と思うように。


「裸眼で見る」とは、自分の身体感覚を通して世界に触れること、
それによって自分の位置をはかり、
人としての平衡を保っていく訓練のことでしょう。


自分でもぼんやり過ごすことが多いのでわかりますが、
そいうとき人間は何もしていないのではない。
肌で周囲をありありと感じ、じかに、生身で世界に触れているのです。
音にも匂いにも空気の流れにも、感覚は開いています。

(2008年6月28日 読売新聞 芥川喜好「時の余白に」から)


そこで私は、ぼーっとする一日を

「触覚系な一日」

と名づけることにしました。

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2008年7月5日土曜日

ビートルズのブラックバード

今だに聞くとドキっとする曲。

ポール・マッカートニーによる1968年のものです。

アメリカの公民権運動が背景にあるそうですが、

聴く人によって、いろいろな解釈があるでしょう。




Blackbird singing in the dead of night
Take these broken wings and learn to fly
All your life
You were only waiting for this moment to arise
Blackbird, fly
Blackbird, fly
Into the light of the dark black night

("Blackbird"より)

ブラックバードが/真夜中に啼いている
その折れた翼で/飛ぶことを学べ
これまでずっときみは
この飛翔の時を/ただ待っていたのだ
ブラックバードよ、飛べ
ブラックバードよ、飛べ
暗くて黒い夜の光の中へ

(片岡義男訳 ビートルズ詩集 1 (1) (角川文庫 赤 357-1) より)



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2008年7月4日金曜日

『身体は動かしてナンボや!』

野球部員の次男が背中を痛めたとき、

スポーツをこよなく愛する友人から

薦めてもらった本です。

『痛い腰・ヒザ・肩は動いて治せ』島田永和著 朝日新書




整形外科医が書いた本です。


「痛みがあるなら何が何でも安静」というのではなく

できるだけ、早い段階で「上手に」動かそう、というものです。


イチローや「オグシオ」のような一流のアスリートの治療を通して

生まれた考えだそうですが、

 「動いて治す」という考え方は
 スポーツ選手だけのものではなく
 働く人、主婦、高齢者、障害者など
 すべての生活し活動する人間にあてはまるものだと気づいた
そうです。
 
そのためには、治療を医者任せにするのではなく、患者自身が

 自分の身体に起こった異変を理解し、
 自分の力で解決する方法を学んで実際に行動
する方法を書いた
 
 人からしてもらう「受け身」の対処ではありません。
 自ら考えて行動する自立した人間が行う
 「前向き(能動的)」治療です。
 人任せではない分、楽ではありませんが、
 適切に実践すれば必ず効果がでますし、
 しかも効き目が長続きします。


 
そんな能動的治療を行うには、

まず患者自身が

「いつ頃までにどんな生活、どんな活動ができるようになりたいのか」

をイメージし、

治療者の役割は「その人がその人らしく生きることをサポートする」

ことなのだそうです。


考え方の枠組みがとてもコーチング的であります。


この本を教えてくれてた KMさん、感謝です♪


次男は結局、骨折ではなく筋肉挫傷で、毎日休まず部活をしています。
最初は運動内容を制限していましたが、今は完全復帰です。

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2008年7月1日火曜日

ジャニス・イアン At Seventeen

1975年、25才のジャニス・イアンによって
作詞・作曲された歌

ボサノバの「イパネマの娘」風の
とても美しいメロディーにのせて、

こんなに主張のはっきりした歌詞があったことに驚きます。



I learned the truth at seventeen
that love was meant for beauty queens
and high school girls with clear skinned smiles
who married young and then retired.

真実を知ったのは私が17才のとき
恋愛は 美人コンテストの女王や
キレイな肌でほほえむ女の子達のものだということ
彼女達は早く結婚して、恋愛生活から引退するということ。

(略)

And those of us with ravaged faces
lacking in the social graces
desperately remained at home
inventing lovers on the phone
who called to say come dance with me
and murmured vague obscenities
it isn't all it seems
at seventeen.

美人でもなく 魅力的でもない私やあなたは
家に閉じこもって、やけをおこして
恋人から電話があったふりの一人芝居
「ダンスに行かないか」からはじまる愛の語らいとか
・・・実際は、どれもありえなかった17才

(中略)

The rich relationed hometown queen
marries into what she needs
with a guarantee of company
and haven for the elderly.

Remember those who win the game
lose the love they sought to gain
indebtures of quality
and dubious integrity.

お金持ちで家柄のよい地元の女王さま達が
結婚に望んだものは
会社の保障と老後の安定。

こういうゲームに勝つ人たちは
得たつもりの愛をかえって失うもの
確かさも見かけだけ
誠実さもあやしいもの

(中略)

It was long ago and far away
the world was younger than today
and dreams were all they gave for free
to ugly duckling girls like me.

もうずっと遠い昔の話
世界も今より若かったころ
夢だけはふんだんにありました。
私のように「醜いアヒルの子」の女の子達にも

(後略)

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