2008年8月29日金曜日

「コーチング・サロン in 京都」 無事終了

こちらで記事にした

「コーチング・サロンin 京都」が、昨日、無事終了しました。

バラのブーケを用いた(造花ですけど、もちろん)

コーチング形式のワークショップとなりました。


参加者のみなさまに、幸せな気分で帰っていただいた様子だったのが

なにより嬉しかったです。


お手伝いいただいた皆様、

応援してくださった皆様、

本当にありがとうございました。








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2008年8月25日月曜日

東京で足止め

2日にわたる東京研修から帰ろうとした夕方、

小田原の大雨のため、新幹線が動かなくなっていました。


家もいろいろ気になるし、

一人で食事をするのを寂しがる次男もいるし、

「どうする、どうする?」

と頭の中はぐるぐる・・・。


とりあえず、でんでバラバラに行動している家族一人ひとりに

連絡を取り、(あ~、携帯って便利!)

とにかく、みんなで一緒に夕食をとるように頼みました。


その一方で、このストレスフルな出来事が、

何かとても「いいもの」をもたらしてくれるとしたら

それは、なんだろう、と考えました。


幸い、2時間後に新幹線は動き始めました。


ようやく家に帰ってみたら、

父子3人は、お好み焼き屋で、

延々2時間 たっぷり食べ じっくり話をしたことが

わかったのでした。

普段父は飛び回っていて、子供と顔をあわせるのがやっとなので、

こんなことは、本当に久しぶりなのでした。



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2008年8月23日土曜日

「不易と前進」 -変わらないものと変わるもの

「なぜいま青山二郎なのか」白洲正子著(新潮文庫) を再読。

以前読んでから、10年以上は経ちました。

初出は1991年だったかと思います。


本読みの楽しみの一つは、同じ本を読んでも

新しい発見があるところ。

ただ忘れているだけかも知れませんが

それはそれで、いいと思っています。


で、今回印象的だったのは

30人程の集まりのなかで、

「天才」青山二郎が「秀才」小林秀雄(「モォツアルト・無常ということ」の著者)を

やりこめて、小林秀雄がポロポロと涙をこぼす、というくだり。


それから何年かして、

「不易の人」青山二郎と、「前進する人」小林秀雄が訣別するくだり。


それから何年かして、

青山二郎と小林秀雄が仲直りして、ほどなく青山氏が他界するくだり。



「美はそれを見たものの発見であり、創作である」 小林秀雄

「小林の直観は美しい/だから実用への応用にはならぬ/
 世間はもっとずるいのだ/パウロはアテネでは語らなかった」 青山二郎





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2008年8月22日金曜日

ラジオ観戦

北京オリンピックは、ずっとラジオ観戦です。

実況アナウンサーの言語能力には本当に感心させられます。

言葉だけで、目前の状況を伝えるのですから。



でも、ときどき、実況でなくて、ただの応援になるときがあって、

「三塁、三塁、三る~い!!!」なんて、連呼されたときには、

「三塁がどうしたんやっちゅうねん(どうしたというのだ)!?」

とラジオに文句を付けたくなったり。

高校野球の実況は、応援になってしまうことはないのですがね。


それにしても、女子ソフトボールは凄かった。

特に上野投手から受けたインパクトは、水泳の北島クラスです。


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2008年8月19日火曜日

家族がテーマのとき

家族のことがテーマになるセッションはセルフコーチングも含め、

けっこうキツクなることがあります。


あるコーチは「相手に対する期待があるから」と言い、

またあるコーチは「感情が絡むから」と言います。


そうだな、と思います。

いろいろなアプローチがあるとは思いますが、

そのうちの一つは、「言語化」 言い換えると 「明確化」または「意識化」。


相手に対して自分がどんな期待をしているのか、

意識してみて、言葉にしてみる。

そして、相手自身は何を望んでいるのか、考えてみる。

(聞いてみてもいいですね)

ときどき、自分の期待と、相手自身の望みが食い違っていることがあります。


感情についても、

自分が今どんな感情をもっているのか、意識してみて、言葉にしてみる。

相手もどんな感情でいるのか、考えてみる。

自分と相手の感情は、どのぐらい共通で、どのぐらい違っているでしょうか。



そんなことなどを明確にしてから、

「大基本」を思い出す。(私はよく忘れるので要注意なのだ)

 「人はいつも最善を選択している」という前提で人と関わる

これについては、ここここで書いたことがあります。


そんでもって、目を閉じて、深呼吸するような心持ちになれば、

キツサが薄れ、違う風景が見えるかも。













http://aito-coach.blogspot.com/2008/02/blog-post_04.html




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2008年8月18日月曜日

北島選手と平井コーチ

北島選手と平井コーチが、

最速!のフォームを作るとき、

①平井コーチが、理論面からいろいろな泳ぎ方を提案する
②北島選手がやってみる

 コーチ「どんな感じ?」北島「ちょっと体が重い」
 コーチ「こういうふうにしたら?」北島「タイミングが合わない」

こういうやりとりを延々と続けるのだそうです。


2006年までは、平井コーチが北島選手の

 「半歩先」

を行っている感じだったそうですが、

今は、北島選手によると

 「一緒に泳いでいる感じ」

なんだそうです。


去年、大阪で講演をした

マーガレット・グリグバウム氏は

「コーチはクライアントの半歩後ろを行く」

と言っていました。


スポーツ・コーチングは

若干「前のめり」なんだなと、思います。






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2008年8月17日日曜日

五山の送り火

昨夜は忘れずに

送り火の中の東山の「大」の字を見ました。


写真に撮るより、肉眼で見た方が

大文字がずっと大きく見えるのは、

近隣に、比較対象となる、木々やら建物やらがあるからなんでしょうね。


肉眼でみる満月が、やたらと大きく立派に見えるのと同じ原理だと思います。


送り火のあと、京都の暑さもいくらかしのぎやすくなります。

「沖縄より暑い」と言われる京都の夏

それどころか、先日は友人が

「シンガポールより暑い!」と言っていました。


その暑さも、そろそろ終りであることが、

雲の形や、月の姿がくっきりしてくる様子からも

感じ取れます。



それにしても、「五山の送り火」なんて、奇抜なこと、

いったい誰が最初に考えたのでしょうか?

ネットで調べていた家族が「1603年」と言っていました。


関が原の戦いの直後ですね。

絢爛豪華+αの安土桃山時代の終りですね。

名作漫画「へうげもの」の主人公

古田織部が生きていた頃です。


古田織部が誰かをそそのかしたか

もし、自分が関わったのでなければ、

送り火を見て、「しまった、やられた!」と

内心くやしがったのではないかと

私は想像するのです。




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2008年8月14日木曜日

こんなプロフィールも

お盆です。皆様いかがおすごしですか?


お墓掃除&お墓参りをし、すっきり?したのち

精進料理をいただき、味噌松風を買って

満足して帰ってきました。



さて、私がメンバー参加しているNPO法人ヘルスコーチ・ジャパンに載せる

プロフィールを更新することにしました。


【仕事・略歴】
大学院終了後、エンジニアとして8年間、言語解釈、翻訳システムの開発に従事。
夫の転勤で2年間アメリカに滞在。
アメリカでは、「アクティブ・リスニング」の考え方を知る。
また、大学で「英語教授法」のコースを終了するが、
そこで得た思わぬ収穫は「異文化理解」だった。
帰国後子育て及び地域活動に重点をおく。
PTAでは新しい地域協働システムの立ち上げ、
スポーツ少年団では、組織の見直し等に関わった。
様々な立場、考え方の多くの人と力を合わせるにはどうすればいいのか
と考える中でコーチングに出会う。
それ以後、コーチングを自分の活動のベースとしている。
数学教師をしていたこともある。


【ヘルスコーチ・ジャパンに期待すること】

これまで私はライフステージの変化や引越しを通じて
「エンジニア集団」「母親集団」「インターナショナルな集団」
「関東地域」「関西地域」など、いろいろな集団に属し、
その中で、コミュニケーションの取り方は何種類もあるということを
実感してきました。
忙しく充実した毎日を送る一方、引越しの多さと子育ての中で、
自分のキャリアが十分に築けないことから自己信頼感が低下したり、
地域活動に身を削ってみたり、「母親はこうあるべき」に窒息しそうになったり・・・
何かとバランスをくずしがちなときに、とても役に立ったのがコーチングでした。
コーチングの中でも、自己基盤に関するところ、「自分にはどんな個性があるか」
「自分の境界はどこか」「自分をOKだと認めているか」などを明らかにすると
適切なコミュニケーションを使って、バランス良く、自分を社会の中で生かせるようになります。

この自己基盤の強化はヘルスコーチ・ジャパンでも大切にしている点で、
プログラムでは、短時間で自己基盤力が上がるよう、工夫されています。

ヘルスコーチ・ジャパンの活動は、
コーチングを使った保健指導、健康指導やメンタルヘルス改善ができる人材を
養成することが目的で、是非そのような人材に多く育ってほしいと願っておりますが、
私が実感として、この活動に賛同する理由は、このプログラムが
すべての人のQOL、すなわち上質の人生のためにもすぐに役立つと確信するからです。

【以上】




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2008年8月12日火曜日

『万能ビリーフ』

研究会が終わってしばらくしたら、

どうやら、『万能ビリーフ』といえるものがあるのでは、

という気がしてきました。

(私の頭脳は『発酵熟成型』、アイデアが遅れてやって来る・・・)


『万能ビリーフ』とは、

どんな状況にも風穴をあけ、呼吸しやすくするのを

助けるビリーフです。


どんなに困った状況にあっても

「私はいつも最善の選択をしている。」

(相手もいつも最善の選択をしている。)

「私は神!である」

(相手も神!である)


そうだと決めてしまえば、

今の状況はどう解釈できるのか

今の状況から何が学習できるのか

または、思考を止めて

「これでいいのだ~♪」

というのもアリかと。




どんな一日であろうとも

一日の終わりに

「今日の私の一日は最高の一日であった」

(今日の相手の一日は最高の一日であった)


と、まず、決めてしまい、そこから

今日は、どういう意味を持つ一日だったと思えるのか?

今日という日から、何を学んだと思えるのか?

または、考えるのをやめて

「最高の一日で、よかったね♪」

というのもアリかと。


『万能ビリーフ』には、ある構造があって、

それは方程式のような考え方で

「既知の考え方のほかに、未知の考え方(エックス)がある」

とまず、決めてしまうのである。

それでもって

「既知」+「未知(エックス)」=「最高または最善」

と、強引に式を立ててしまい、

さて、ここでの「未知(エックス)」は何か?

と(考えたければ)考える。

そんな感じかな。

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2008年8月11日月曜日

ビリーフ探求

京都コーチ研究会では

初めての方、久しぶりの方にもお会いできて嬉しかったです。


さて、

ビリーフとは、「思い込んでいること」「信じ込んでいること」のことです。

ビリーフには、

「そのままにしておいてよいビリーフ」と

「そのままにしておくと、ゴール達成の障害になるビリーフ」がありますが、

特に取り上げたのは後者です。


「ゴール達成の障害になるビリーフ(以下こちらを「ビリーフ」と呼ぶ)」は

書き換えたり、粉砕すれば、いいわけです。


ところが、そもそも、ビリーフを認識するのが難しい。

また、どのように書き換え、また粉砕すればよいのか、これも容易にはわかりません。


また、ビリーフに接すると、

何故か、その話を聴くものの気持ちを萎えさせ(エネルギーを奪う)

その話をするものの気持ちも萎えさせます。

こういう気持ちのシグナルを

『ビリーフ探知機』にするとよい、という意見もありました。


相手のエネルギーを奪おうとするあたりは

ニーズにも近い、と思いました。


「こんなビリーフがあるようですね」と

フィードバックしたとしても、

相手がいっぱいいっぱいだと

その内容を受け取れないこともあります。


さらに

ビリーフの認知、書き換え、粉砕には

高い言語能力、つまり

それを言葉で言ったらどうなの?とか、

それらを「ひとこと」でいうならどうなる?

という作業が必要。


過去のビリーフは比較的言語化しやすい。

そのビリーフをどのように書き換えたのかも、言語化しやすい。

そのプロセスがどんな風にして起こったのか、振り返るもの良い。

何かイベントがあったのか?

それともジワジワと起こったのか?

これら一連のことを、

完全に成り行きにまかせるのではなく、

「構造」として把握することで、多少人為的に促進する。

そういうのもコーチングは提供できます。


それだって、「そったく同時」は外せない要素になると思いますが。

(「そったく」の漢字は、私のパソコンが受け付けません・・・)


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2008年8月7日木曜日

本当に伝えたいことは・・・Nさんの原爆体験

これは4年以上前に聞いたNさんの原爆体験談で、

メモもないので、本当にうろ覚えで申し訳ないのですが、

なんとかエッセンスだけでも、表現してみようと思います。


Nさんは、当時70代で、原爆後遺症をお持ちの、

ジャズ好きの大変ダンディーな方です。



 原爆投下の日、私は小学生で
 全身大やけどを負った私は病院に収容されました。
 やはり、大やけどを負った兄は、
 そこから遠く離れた別の病院に収容されたそうです。
 
 私は一週間以上身動きができませんでした。
 体には蛆がわきました。
 
 近くにいた見知らぬおばあさんが
 「かわいそうに、この子は助からない」というのが聞こえました。
 
 体を動かすことのできた母は、私と兄のいる病院を探し出し、
 毎日、私と兄をたずねてきて、看病してくれました。
 
 私がいた病院と兄がいた病院は遠く離れているのに
 いったいどうやって、瓦礫の間をかきわけて
 毎日看病に来ることができたのか今だに不思議です。
 
 そのとき、私は身動きができないながら、
 母にとても大事にされていることを感じました。
 「生きていてほしい」という願いを感じました。
 
 このように感じていたから
 「この子は助からない」と言われていたのに
 私は生きのびることができたのだと思っています。
 兄もまた、生きのびました。
 
 だから、私は自分の原爆体験を
 小学生に語るとき、
 「君達のひとりひとりはとても大切な存在なのだから
  どうか、命を大事にしてください。」
 と締めくくります。

 
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2008年8月6日水曜日

広島の原爆忌に

今日は広島の原爆忌です。

FM京都でDJの佐藤氏が、およそこんな内容のことを言っていました。

 小学生のころ、広島の原爆の記録映画を見た。
 あまりに恐ろしく衝撃的な内容で、心から
 「戦争はイヤだ」と思った。
 
 しかし、あまりの恐ろしさにそれ以降
 広島の原爆について、考えられなくなった。
 思考が停止してしまって、
 「戦争を無くすにはどうしたらよいか」
 考えられなくなった。
 
 何のために、原爆の記録映画を見るのか?
 それはまさか「恐怖に身をちぢこませ、
 思考停止になる」ためではないだろう。
 
 子どもがみんな、私のように思考停止するわけではないだろうけれども
 私のこんな経験から、小学生に原爆の記録映画を見せるのは
 いかがなものかと思う。
 
 それよりも、たとえば成人式にこの記録映画を見るほうが、
 「二度とこのような悲惨なことがおこらないようにするには
  どうしたらよいか」
 考えることができて、良いのではないか。
 
 もちろん、このことについては
 いろいろな考え方があると思うけれども、私はこのように思う。


 

私の夫は小学一年生のとき、広島の原爆資料館へ行き、

あまりに恐ろしくて資料館の中を前に進めなかったといいます。



私は、衝撃度が比較的少ない写真を見ました。

思考停止とまではいきませんでした。

高校のとき、大江健三郎の「ヒロシマ・ノート」を読み、

原爆がもたらした悲劇については

どんなに理解・共感しようとしても

体験していない者にはムリだろう、と

無力感のようなものを感じたことがあります。


そんなことを思い出していたら、そのつながりで、

すこし違う視点から、ご自分の原爆の体験について語ってくれたNさんのことを

ふと思い出しました。


それについては、また明日。

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2008年8月3日日曜日

「コーチング・サロン in 京都」

ここ数日、あるワークショップの準備にかかりきりです。

会場も「コーチング・サロン in 京都」という名前で予約してきました。


準備をしながら、ふと思いました。

――これは、もしかすると、長年の夢の一つが叶おうとしているのではないか?


というのも、私の長い間の憧れの一つが17~19世紀フランスのサロン文化だったからです。

澁澤龍彦 ヨーロッパの乳房



この本は紀行文で、最後に「フランスのサロン」という章があります。


もちろん、ここは 21世紀の日本ですから、

そのまま、というわけではありませんが

集まる人の才知を集め、新しい何かを生み出す、という

スピリッツあるいは心意気を

ぜひとも再現したい、と考えています。


コーチングといえば、ビジネス・コーチングが盛んですが

私がコーチングと出会ったきっかけがPTA及び地域活動だったので、

まずは、コーチング未体験の、子どもを持つ親を対象に始めます。


すでに、多くの方のご協力をいただいています。

感謝です。

そして、がんばろう。


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2008年8月1日金曜日

『奇跡のリンゴ』

新聞広告で気になった本です。

『奇跡のリンゴ』

無農薬・無肥料でリンゴを栽培することに成功した木村秋則という人の記録です。


どう奇跡なのかは、こちらを見ていただくとある程度わかります。


無農薬・無肥料で育てたリンゴは

味が濃くて、

切っても変色せず、

放っておくとそのままドライフルーツのようになっていく!のだそうです。




人が生きていく上では

経験や知識の積み重ねが必要です。しかし、

真に新しい何かに挑むとき、
最大の壁になるのはしばしばその経験や知識なのだ。

木村はひとつの失敗をするたびに、ひとつの常識を捨てた。
そうして無垢の心でリンゴの木を
眺めることが出来るようになったのだ。(読売新聞広告より)






わかっているつもりにならない。

リンゴ(相手)から学ぶ。


コーチングの究極の姿がリンゴの栽培にもあった!と思いました。




(こちらはモバイル用)
奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家木村秋則の記録



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