2009年4月22日水曜日

めざしているもの

6回目のコーチングサロンin京都が無事終了しました。

参加してくださった皆様に感謝です。

皆様、何をお持ち帰りになったでしょうか?


あらためて、自分がこのサロンで目指している状態を再検証。

テーマを提示し、話題を共有する。

目的にそったコミュニケーションを体験していただく。


そこで何を感じるかは、ひとりひとりのオリジナル。

何をお持ち帰りになるかも、ひとりひとりのオリジナル。

それぞれのオリジナルを、他のみんなにシェアしていしていだだくことで

複数の視点が生まれます。

それが、それぞれのオリジナルに深みをもたらします。


「人は、すでに自分の中にあるものに興味をもつ」

これはヘルマン・ヘッセの言。

しかし、自分の中にあるものに気づいていないこともあります。

そのような、それぞれが、気付かないでいる、しかし、確実に持っているものを

顕在化する「しかけ」を提供したいと思います。

言語化されていない潜在意識の海から浮かび上がってくる、

その人の表現やアイデアにフォーカスします。


これって、「事象」に関心をもつ、

いかにもアナコン(=アナライザー・コントローラー)的発想かしら。

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2009年4月15日水曜日

どう読む?海北友松

町でポスターを見かけ、名前の読み方がわからなかったので
調べはじめました。

建仁寺と関係が深かった画家で、雲龍図が有名らしいです。

Wikipediaによると・・・
海北友松(かいほう ゆうしょう、 天文 (元号) 天文2年(1533年) - 元和元年6月2日 (旧暦) 6月2日(1615年6月27日))は、安土桃山時代~江戸時代初期の絵師。姓は源氏、友松は字。近江(現在の滋賀県)の湖北地区に生まれる。名ははじめ「友徳」。「紹益」とも。「如切斎」や「有景斎」などと号した。子に同じく画家の海北友雪。
浅井長政の家臣・海北綱親の五男として生まれる(三男説もあり)。禅門に入り、京の東福寺で修行。このときに狩野派を学んだらしい。のち還俗し、海北家の再興をめざしたが、豊臣秀吉に画才を認められたことから武門を去り、晩年は画業に専念した。海北派の始祖。

浅井家滅亡のとき、もちろん家臣である海北家も滅亡したのですが、
友松だけは、出家していたので、生き延びたらしいです。
還俗して海北家の復興をめざしたり、
一説によると、処刑された千利休の遺体を「槍をふりまわして」取り返しに行ったのは彼だとか
なかなか熱い男であったことが想像されます。





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2009年4月14日火曜日

「オートクチュールビーズ刺繍展」

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田川啓二の世界~オートクチュールビーズ刺繍展から


着物の生地に 刺繍をし、さらに大量のビーズを施す。

この「空間、許すまじ!!」の情熱がどこからくるのか、と思ったら、

この人は最初の工房をインドに持ったのでした。

そうか、インドの石窟寺院だ、と勝手に納得。

 

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2009年4月13日月曜日

「利休にたずねよ」~インスピレーションの源

京都在住の直木賞作家、山本兼一氏の本を
お借りしました。


茶の湯の神髄は、山里の雪間に芽吹いた草の命の輝きにある。

人はだれしも毒をもっておりましょう・・・
肝要なのは、毒をいかに、志にまで高めるかではありますまいか。

(毒:三毒のこと。むさぼり・いかり、ぐち、このと)


燃え立つ命の力を、うちに秘めていなければ、
侘び、寂びの道具も茶の席もただ野暮ったくうらぶれただけの下賤な道具にすぎない。 


・・・というインスピレーションの源となった利休の体験が何だったのか、
についての推理小説。

味噌松風(みそまつかぜ)のようなお菓子がでてきましたが
この時代からあったのかな。


それにしても、山田芳裕の「へうげもの」を目にしてからというもの
利休に関するどの小説を読んでも、
「マンガにするならこの利休以外にあり得ない」という気にさせられます。









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2009年4月10日金曜日

三田三の額ぶち

4月から始まったNHK教育の「美の壺」は

案内役が谷啓さんから草刈正雄さんにバトンタッチ。

草刈さんのお屋敷は、「明治・大正ハイカラ趣味」の設定らしいです。

その玄関ホール?にかけられた巨大な書「壺中天」の額ぶちは

友人のギャラリー「三田三」の三田一之さんの作


重箱でできているんだって!


「三田三」の額ぶちはこちら


「美の壺」は毎週金曜日NHK教育22:00~。

冒頭部分で、ちらっと見えます。


ところで「美の壺」に新タイトル映像は、

伊藤若冲をを素材にしたCGのようですね。

これも「三田三」の好みです。


最近通販も始めた「三田三」のHPはこちら



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2009年4月7日火曜日

「無名兵士の祈り」

ニューヨーク大学リハビリテーション研究所の壁に残された
作者不詳の詩で、アメリカ南北戦争の一兵士が残したものらしいとのこと。



I Asked God / The Answer to All My Prayers
無名兵士の祈り
Author Unknown
作者不詳

I asked God for strength, that I might achieve,
I was made weak, that I might learn humbly to obey.
大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと、
神に求めたのに、謙遜を学ぶようにと、弱さを授かった。

I asked for health, that I might do greater things,
I was given infirmity, that I might do better things.
より偉大なことができるように健康を求めたのに、
より良いことができるようにと病弱を与えられた。

I asked for riches, that I might be happy,
I was given poverty, that I might be wise.
幸せになろうとして、富を求めたのに、
賢明であるようにと貧困を授かった。

I asked for power, that I might have the praise of men,
I was given weakness, that I might feel the need of God.
世の人々の賞賛を得ようとして権力を求めたのに、
神の御心を知るようにと非力であることを授かった。

I asked for all things, that I might enjoy life,
I was given life, that I might enjoy all things.

人生を楽しむためにあらゆることを求めたのに

あらゆることを楽しめるようにと、生命を授かった。

I got nothing that I asked for
- but everything I had hoped for.
求めたものは一つとして与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられた。

Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
I am among all men, most richly blessed! 
神の意にそわぬ身であるにもかかわらず、
心の中の祈りは、すべて叶えられた。
私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されたのだ。




この詩は「無名兵士の祈り」「叶えられた祈り」「病者の祈り」または「人生の祝福」など、
さまざまなタイトルで呼ばれているらしいです。
「千の風の乗って」のように、人々の間で静かに好まれた、
万葉集で言えば「詠み人しらず」の詩のようなものかもしれません。


「求めること」と「願うこと」の違いを考えたりします。



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2009年4月4日土曜日

「泰然」とポチのうしろ姿

よく知られた語句に「六然(りくぜん)」というのがあって、

陽明学の人が唱えたそう。

先日訪れた京都御所東隣の新島襄の自宅にも勝海舟による「六然」の書がありました。


特に最後の2行

得意澹(タン)然   失意泰(タイ)然

(得意の時もたんたんとして、たかぶることなく、失意にあっても悠揚として 落ちつきはらい、些かも迫る事なく取り乱さない、の意)


などは印象に残るところです。


「澹(タン)然」も「 泰(タイ)然」も

白い雑犬のポチが、尻尾を立ててトコトコ道を行く、その後ろ姿のイメージに

ぴったりだと、私なんぞは思うのです。


得意のときもポチの後姿 失意にあってもポチの後姿


「六然」はこちらを参考にいたしました。



 






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