2010年4月26日月曜日

長谷川等伯 ~ケレンと真情~

pine trees

安土桃山時代の絵師、長谷川等伯の一連の作品を鑑賞しました。

初期から晩年に至るまでの作品を一度に見て感じたのは
技術とパワーはもちろんのこと、
良い意味での「けれん」・・・俗っぽさ、でした。

洗練の対局としての「けれん」

そして、「けれん」の行きついた先としての「松林図」

「わだば ゴッホになる(by 棟方志功)」ならぬ
「わだば 牧谿(もっけい)になる」という声が聞こえてくるよう。

水墨画というと、枯淡の境地、というイメージがありますが、
なかなかどうして、もっと、ギラギラしています。

その向かいに、月夜の松林図があったのですが、
対比すると、こちらの松林図は「濃霧の冬の朝」とみえました。
それほど、きっぱりとしていたのです。

また、驚いたことに、想像していたより、ずっとサイズが小さかったです。
こんなことは、ダリの「記憶の残像」以来。
それほど、見るもののの想像力を刺激する作品ということでしょう。


一連の作品が一同に会した展覧会では
その作家のもつ通奏低音が浮かび上がります。
一つ一つを個別に見たのでは、わからないことです。

等伯の通奏低音は、技術とパワーとけれん味でした。
(私にとって、ですが)

全体を観てから部分を観ると、さまざまなことがより深く理解できます。

そんな中で、牧谿風の猿図では
「けれん」よりも、家族に対する真情が勝っていました。








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