先日、TVで最終講義をやっていました。
題して「正義について」。
多元的な文化・宗教が存在する世界では、
何が正義であるか、知るには
それぞれの文化的立場による
「原理」と「事例」をいったりきたりしつつ、
弁証法的にディスカッションすることが。欠かせない。
「正義」の共通理解が得られるかどうか別として
そこから始めるしかない、と考える。という講義でした。
この弁証法的ディスカッションの方法は
はるかプラトンの時代から行われていたそうです。
私がさまざまな宗教に興味を感じるのは
それらが一様に「ニーズ」を扱っていることも理由のひとつです。
しかし、積極的にどの宗教をも選ばなかったのは
多元的な文化が存在する世界で、
一つだけが正しい、信じられるーーー
などということはできない、という理由によります。
多少面倒でも、地道に
プラトン的ディスカッションをするほうが
しっくりきます。
自分が輝く3つの方法(私のホームページです)←応援ありがとうございます
2010年6月26日土曜日
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