2008年8月6日水曜日

広島の原爆忌に

今日は広島の原爆忌です。

FM京都でDJの佐藤氏が、およそこんな内容のことを言っていました。

 小学生のころ、広島の原爆の記録映画を見た。
 あまりに恐ろしく衝撃的な内容で、心から
 「戦争はイヤだ」と思った。
 
 しかし、あまりの恐ろしさにそれ以降
 広島の原爆について、考えられなくなった。
 思考が停止してしまって、
 「戦争を無くすにはどうしたらよいか」
 考えられなくなった。
 
 何のために、原爆の記録映画を見るのか?
 それはまさか「恐怖に身をちぢこませ、
 思考停止になる」ためではないだろう。
 
 子どもがみんな、私のように思考停止するわけではないだろうけれども
 私のこんな経験から、小学生に原爆の記録映画を見せるのは
 いかがなものかと思う。
 
 それよりも、たとえば成人式にこの記録映画を見るほうが、
 「二度とこのような悲惨なことがおこらないようにするには
  どうしたらよいか」
 考えることができて、良いのではないか。
 
 もちろん、このことについては
 いろいろな考え方があると思うけれども、私はこのように思う。


 

私の夫は小学一年生のとき、広島の原爆資料館へ行き、

あまりに恐ろしくて資料館の中を前に進めなかったといいます。



私は、衝撃度が比較的少ない写真を見ました。

思考停止とまではいきませんでした。

高校のとき、大江健三郎の「ヒロシマ・ノート」を読み、

原爆がもたらした悲劇については

どんなに理解・共感しようとしても

体験していない者にはムリだろう、と

無力感のようなものを感じたことがあります。


そんなことを思い出していたら、そのつながりで、

すこし違う視点から、ご自分の原爆の体験について語ってくれたNさんのことを

ふと思い出しました。


それについては、また明日。

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