2008年8月23日土曜日

「不易と前進」 -変わらないものと変わるもの

「なぜいま青山二郎なのか」白洲正子著(新潮文庫) を再読。

以前読んでから、10年以上は経ちました。

初出は1991年だったかと思います。


本読みの楽しみの一つは、同じ本を読んでも

新しい発見があるところ。

ただ忘れているだけかも知れませんが

それはそれで、いいと思っています。


で、今回印象的だったのは

30人程の集まりのなかで、

「天才」青山二郎が「秀才」小林秀雄(「モォツアルト・無常ということ」の著者)を

やりこめて、小林秀雄がポロポロと涙をこぼす、というくだり。


それから何年かして、

「不易の人」青山二郎と、「前進する人」小林秀雄が訣別するくだり。


それから何年かして、

青山二郎と小林秀雄が仲直りして、ほどなく青山氏が他界するくだり。



「美はそれを見たものの発見であり、創作である」 小林秀雄

「小林の直観は美しい/だから実用への応用にはならぬ/
 世間はもっとずるいのだ/パウロはアテネでは語らなかった」 青山二郎





コーチングで一隅を照らす(私のホームページです)
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2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

今になって、ああと思うのは、
白州正子の書いた原稿を、青山二郎が容赦なく切ったり、削ったりして、

書き手が自分の言いたいことを我慢すると、読者はその分自分でわかろうとする。自分で考えた気になるのが、読者の一番の楽しみではないか。 

というようなことを言ったという部分です。

その頃は、当時の白州正子の気持ちの方がよくわかりましたが、
今なら、コーチングを通じて青山二郎の言ったことがわかる気がします。

もちろん、未だにわからないことが多い青山氏ですが。

takahashi さんのコメント...

この本にそういう部分、ありましたね。

なるほど。そういうことだったのか!