これは4年以上前に聞いたNさんの原爆体験談で、
メモもないので、本当にうろ覚えで申し訳ないのですが、
なんとかエッセンスだけでも、表現してみようと思います。
Nさんは、当時70代で、原爆後遺症をお持ちの、
ジャズ好きの大変ダンディーな方です。
原爆投下の日、私は小学生で
全身大やけどを負った私は病院に収容されました。
やはり、大やけどを負った兄は、
そこから遠く離れた別の病院に収容されたそうです。
私は一週間以上身動きができませんでした。
体には蛆がわきました。
近くにいた見知らぬおばあさんが
「かわいそうに、この子は助からない」というのが聞こえました。
体を動かすことのできた母は、私と兄のいる病院を探し出し、
毎日、私と兄をたずねてきて、看病してくれました。
私がいた病院と兄がいた病院は遠く離れているのに
いったいどうやって、瓦礫の間をかきわけて
毎日看病に来ることができたのか今だに不思議です。
そのとき、私は身動きができないながら、
母にとても大事にされていることを感じました。
「生きていてほしい」という願いを感じました。
このように感じていたから
「この子は助からない」と言われていたのに
私は生きのびることができたのだと思っています。
兄もまた、生きのびました。
だから、私は自分の原爆体験を
小学生に語るとき、
「君達のひとりひとりはとても大切な存在なのだから
どうか、命を大事にしてください。」
と締めくくります。
コーチングで一隅を照らす(私のホームページです)
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