かつて京都新聞に連載された小説を改題したものです。
茶道家元を継ぐのがイヤで家を飛び出した19才の主人公は
青い髪の、なりそこないのバンド青年で、
一番きらいな町、京都に居候することになり
インドやチベットを旅したことのあるお坊さんや
お公家さんのふりをするのが好きな高校教師やらとつきあううちに
逃げてきた「お茶」にかえって追いかけられる話。
主人公は「体感覚」だけでできたような人物で
その小学生の弟は「理屈」だけできたような秀才。
お話では「言葉より体でわかることの大切さ」がベースにあるようです。
でも、私は、「体でわかったこと」は「言葉」にしてほしい、と思います。
もう一人、日本趣味の欧米人を登場させ
「ナゼ、ソウシマスカ?」「ソレハ、ナンノタメニアリマスカ?」
と主人公を質問攻めにするとか。
そのやりとりで明らかになることは、
「理屈」とは一味ちがう何かになるのでは?
ところで、このお話の中には、とても切ないエピソードがひとつあります。
芸道を目指す人にとって、これほど堪らない話はなかなかないのでは?
そのエピソードがきっかけで、主人公は次の一歩を踏み出します。
コーチングで一隅を照らす(私のホームページです)
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2 件のコメント:
この本、取り寄せました♪
読むの、楽しみにしています。
お正月の読書にピッタリですよ~♪
よかったら感想、聞かせてください。
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