2008年4月26日土曜日

文学の伝統と国民性とコーチング

アイルランド在住のMさんと話していて

「文学の伝統のある地域の人々は一筋縄ではいかない」

という、仮説を立てました。


たとえば、アイルランド出身の作家
 
 ジョナサン・スウィフト
 ジェイムズ・ジョイス
 バーナード・ショー
 イェイツ

などという名前を聞くだけで、私なぞはクラクラします。


地域限定にはなりますが、京都人なんてものもそうではないかと

思うときがあります。

源氏物語、枕草子、そして徒然草を生んだ土地ですから。


文学作品としての深さ、複雑さ、そして、渋みが

その土地に生きる人々の深さ、複雑さ、渋みに通じるような気がしています。


これは、「○○人は△△である」というラベルを貼っているのではなく、

その人達が、言語運用に関して独特の枠組みを持っている、と言えばよいでしょうか。



そういう土地で、

コーチングの基本文献に書いてあるような

「コーチングの対話例」が

どこまで通用するのか?


こう考えると、コーチングのキモは

コーチの気合を、クライアントの気合と響き合わせること

そのことによって、クライアントの内部世界の言語化が促進されること

このあたりか?と思います。



ところで、

アイルランド語(ゲール語)はわからないので、
関連が深い英語で、「気合」はどう表現されるか?

 spirit 
 will power
 
「気合を入れる」は

 put more spirit into it
 concentrate harder(これは、ラテン語語源なので、ちょっと違うかも)
 
 
「気合」は精神、霊、魂と関係があり、
 意志の力であり
 何かに注ぎ込むことができ、
 集中することによって生まれるんでありますな。



ちなみに日本語では
 ③いき。呼吸。「両方の気合が合う」
 ④精神を集中してことに当る気勢または掛け声。
 (広辞苑)
 
 


コーチングで一隅を照らす(私のホームページです)
←応援ありがとうございます

0 件のコメント: