アイルランド在住のMさんと話していて
「文学の伝統のある地域の人々は一筋縄ではいかない」
という、仮説を立てました。
たとえば、アイルランド出身の作家、
ジョナサン・スウィフト
ジェイムズ・ジョイス
バーナード・ショー
イェイツ
などという名前を聞くだけで、私なぞはクラクラします。
地域限定にはなりますが、京都人なんてものもそうではないかと
思うときがあります。
源氏物語、枕草子、そして徒然草を生んだ土地ですから。
文学作品としての深さ、複雑さ、そして、渋みが
その土地に生きる人々の深さ、複雑さ、渋みに通じるような気がしています。
これは、「○○人は△△である」というラベルを貼っているのではなく、
その人達が、言語運用に関して独特の枠組みを持っている、と言えばよいでしょうか。
そういう土地で、
コーチングの基本文献に書いてあるような
「コーチングの対話例」が
どこまで通用するのか?
こう考えると、コーチングのキモは
コーチの気合を、クライアントの気合と響き合わせること
そのことによって、クライアントの内部世界の言語化が促進されること
このあたりか?と思います。
ところで、
アイルランド語(ゲール語)はわからないので、
関連が深い英語で、「気合」はどう表現されるか?
spirit
will power
「気合を入れる」は
put more spirit into it
concentrate harder(これは、ラテン語語源なので、ちょっと違うかも)
「気合」は精神、霊、魂と関係があり、
意志の力であり
何かに注ぎ込むことができ、
集中することによって生まれるんでありますな。
ちなみに日本語では
③いき。呼吸。「両方の気合が合う」
④精神を集中してことに当る気勢または掛け声。
(広辞苑)
コーチングで一隅を照らす(私のホームページです)
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2008年4月26日土曜日
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