2008年4月11日金曜日
キリスト教とコーチング的 「愛」
縁あって、とあるカトリック教会の礼拝に行きました。
カトリックの礼拝は信者だけでなく、
すべての人に対し、開かれています。
信仰のあり方は違っても、違いを尊重しつつ、
「かたじけなき、なにごとか」に想いを馳せ、
一緒に祈ることができるのは
素敵なことだと思います。
聖書のこんな言葉が紹介されました。
たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢(シンバル)と同じである。
たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
ここでいう「愛」ってどういうものでしょう?
キリスト教の教義はさておき、
コーチング的に言うならば、ここでの「愛」とは
「相手に受け取れるように伝えるための、あらゆる行動」
と、ふっと思ったのだけど、どうかな。
写真は、今年咲いた My Little Tulips.
あなたのワクワクは何ですか?(私のホームページです)
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